「オランダでの経験がチェルシー移籍の大きな力になった」ノニ・マドゥエケが明かす海外挑戦の理由
2023年冬の移籍市場で、PSVからチェルシーに加入したノニ・マドゥエケ。移籍金3500万ユーロ(約49億円)、7年半の契約にサインした。彼はテクニックに優れ、スピードのある左利きのアタッカーで、中央でもプレーが可能。普段はサイドで攻撃的な役割を担い、ゴールに加え、アシストでもチームに貢献してくれる選手だ。PSV時代には公式戦80試合に出場するなど、まだ21歳ながら多くの経験を積んでいる。
そんな彼が、ロンドンで過ごした日々、幼き頃のサッカーキャリア、父から受け継いだもの、トッテナムを離れた理由、イアン・マートセンとの奇妙な関係、PSVへの移籍、チェルシーでの挑戦などについて赤裸々に話した。
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ロンドンから少し離れたバーネットで育ったマドゥエケ。早くからサッカーに夢中になり、マンチェスターユナイテッドに所属していたクリスティアーノ・ロナウドに憧れ、彼のようにプレミアリーグでスターになることを夢見ていたという。
「6~7歳のときに、サッカー選手になりたいと思ったんだ。そして、それが仕事になると知った瞬間『やったよ、サッカー選手になれた』と思った。地元のチームでプレーしているところをスカウトされてキャリアがスタートしたけど、その時は正直に言うとそんなにいいプレーはできなかった。でも、そのスカウトマンは、非常に機敏でバランスがよく、素早くてゴールを決める能力があると言ってくれたね。そしてクリスタルパレスに行き、1、2週間トライアルを受け契約に至った。それが旅の始まりになった。
でも最初は大変だったよ。わざわざ車で行って、帰ってくるのがすごく遅かったんだ。僕の住んでいるところからだと、1時間半くらいかかる。でも、チャンピオンシップやプレミアリーグのクラブのアカデミーでプレーできるのなら、まったく気にならなかったね」
その後、トッテナムのアカデミー(U-12)に参加し、地元でキャリアを積むチャンスを得て、そこで頭角を現した。
「15、16歳くらいのときに、プロのサッカー選手になれると確信した。(プロに)なれないなんて考えられなかったよ!そう思ったのは直感的なものが大きかったけど、年上の選手と1年間一緒にプレーをして、自分が一番いいプレーをしていたし、イングランド代表(ユース)としてもプレーしていたから『このままいける!』と思っていた。でも、A、B、Cと単純には進まない。トップアカデミーでプレーし、イングランド代表でプレーをしていても、そこから飛躍できない人が大勢いる。でも、個人的には持ち前のメンタリティで必ず成功すると感じていた」
幼少期から“プロのサッカー選手になる”と決意しながらキャリアを歩んでいたマドゥエケ。その強い意志は、父から受け継いだものだと明かした。
「父は何かをやろうと思えば、必ず実現する。だから、僕も父からそれ(強い意志)を受け継いたんだ。自分にとっては、それがとても助けになるけど、トッププレーヤーは皆、そういった資質を持っていると思う。もちろん謙虚さも必要だけど、“十分な実力を持っている”という、いい意味での自信も必要になってくる」
このまま地元のトッテナムで成長を続けると思われたが、16歳の時にオランダのPSVで挑戦することを決意する。
「最初のステップは、自分自身が何をしたいのかを理解することであり、次のステップはそれを実現するために何が必要なのか、何をすればいいのかを考えること。自分にとっては、それがPSVへの移籍だった。PSVとは、トーナメント形式の試合で対戦したことがあって、その時は準決勝で負けて、PSVはそのまま優勝。彼らに対しては“みんないい選手ばかりだ”と思ったよ。テクニックもフィジカルも本当に優れていた。だから、PSVに行っても自分の成長に支障はないだろうし、もし十分な実力があれば、トップチームですぐにプレーできるだろうと思っていた。また当時、トッテナムでは奨学金のオファーを受けていたんだけど、同じように優秀な選手がそのシステムの中で自分を見失うのを見て、ああはなりたくないとも思っていたんだ」
PSVに好印象を抱いたマドゥエケだが、移籍をするきっかけは以外な人との出会いだったことを明かした。
「トッテナム対PSVのユース戦で、PSVの選手の親と父が話をしていた。それがイアン・マートセンの親だった。今はチェルシーからレンタルでバーンリーに行っているけど、とてもいい選手なんだ。彼らは笑いながら冗談を言っていて、それから父が僕をPSVに連れていきたいから、監督と話したいと言った。マーセンの父親は、父が本気だとわかると本当に監督にその旨を伝えてくれた。そうして縁ができ、何度か試合を見に来て、シーズン終了後に実際に契約をしたいと言ってくれた」
2018年夏にPSVへの加入が決まり、新天地でのキャリアをスタートさせた。
「サッカー選手というのは、決して良いことばかりではなくて、半分は苦労を伴う。最初のころは大変だった。母親と一緒に暮らすことになったから、新しい国にいること自体が大変だったわけではないけど、ピッチの上では大変だった。全く新しいプレースタイルに適応しなければならなかったし、言葉もわからなかった。結局はサッカーだから、そんなに違うということはないんだけど、一度にたくさんの新しいことが起こるというのは、常に難しいことなんだ。そして、“トッテナムのアカデミーから若手選手が入ってきた”と周囲が注目するしね。プレッシャーがかかるのは当たり前だけど、期待に応えたいと思うのは当然で、子供のころはそれをコントロールできないこともあった。
最初はうまくいっていなかったけど、3カ月ほど経った頃からすべてがうまくいくようになったね。U-19に昇格して、そこでようやく自分らしいプレーができるようになり、それから問題はなくなったよ」
残念ながら、その夏にマートセンがチェルシーのアカデミーに参加したことで、一緒にプレーをすることは叶わなかったが、今後チェルシーで共にプレーする可能性が出てきている。
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-家族揃ってチェルシーを応援-
こうしてオランダにも徐々に適応し、2019-20シーズンからトップチームでの出場機会を増やして、2023年1月までに公式戦80試合に出場。20ゴール・14アシストを記録する活躍を見せ、2023年1月20日にチェルシーとの契約に至った。
「列を飛び越えれば同じ年代の選手たちに差をつけられると思っていた。彼らがU-18やU-21でプレーをしている間、トップチームでプロ相手にプレーができるからね。だから、彼らよりも早く成長して、(イングランドに)帰ってくる頃には彼らの上をいけると思った。
アカデミーで対戦したり、イングランドのU-17でプレーしたりと、みんな同じようなレベルにいるけど、もし自分が彼らより先にトップレベルでプレーできたとしたら、彼らがそこに到達しようとしているときに、すでに自分はそこにいて、そこでも努力を続ければ、彼らに追いつかれることはないはず。その経験があったから、チェルシーに移籍したときに大きな力になった。
オランダで80試合もプレーをしていなかったら、チェルシーに来るときにも、ドレッシングルームの中でも、違うアプローチ、違う感覚を持っていた気がする。自分はチアゴ・シウバやエンゴロ・カンテではないことは分かっているけど、そうなれないと言い切ることはできないだろう?」
プレミアリーグでプレーすることが“夢”だと入団時に語っていたマドゥエケ。妹(ミドルネームがチェルシー)と弟がブルーズで、家族揃ってチェルシーを応援しているという。チェルシー移籍後、公式戦4試合の出場に止まっているが、3月26日に行われたU-21のフランス代表戦では、20分間の出場で1ゴール・2アシストをマークし、プレー・オブ・ザ・マッチを獲得するなど、同年代との“差”を見せつける形となった。
自身で考え、それを実行しながらステップアップしている21歳の若者。イングランドのフル代表選出、そしてチェルシーでもレギュラーを掴みそうな予感。ムドリク、フェルナンデス、バディアシルらの若手と共に、将来のチェルシーを担う選手となりそうだ。
(※Source:ChelseaFC、Fabrizio Romano)
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